玄光社

関式サロン露出計(新型)

SEKI'S SALON EXPOSURE METER (new)

(ここに紹介するサンプルは,ご厚意でお借りしているものである。)

 関式サロン露出計は,1938年10月に発売された。その後,なんども改訂が重ねられ,1960年ころまで発売が続いていた。戦前のカメラ雑誌(「カメラ」(アルス)など)を見ていくと,「関式サロン露出計」としてのはじめての広告は,「カメラ」1938年11月号(アルス)などで確認できる。このときの広告は文字だけのものであったが,翌月,1938年12月号の広告では,製品の画像も掲載されていた。そして広告の内容には,数箇月ごとに目立つ変化があった。
 さらに広告を追っていくと,「カメラ」1940年3月号ではその内容が一新され,いちばん目立つセールストークとして「待望の新型」というものが使われるようになる。「片手一回で適正露出」と謳われていた特徴には,「昼でも夜でも」という説明が付け加わるようになっている。ここで紹介する「関式サロン露出計(新型)」は,このときに発売された「待望の新型」に該当するものである。

 新型の特徴として,裏面の光度係数表が「北緯20°〜30°」「北緯30°〜40°」「北緯40°〜50°」の3つの地域に区分されていることがあげられる。「北緯20°〜30°」の地域は「台湾〜薩南大島 南支那」,「北緯30°〜40°」の地域は「九州〜東京〜秋田・岩手懸 朝鮮南部・中支那・北支那」,「北緯40°〜50°」の地域は「青森懸〜北海道〜南樺太 朝鮮北部・滿州國」と表記されており,当時の社会情勢をうかがうことができる。
 また,「人工光下被写体係数」の表があらたに設けられたことは,広告でアピールされている「昼でも夜でも」に対応していると考えられる。そのほかに,表面中央部に「新案特許」という文字が付加されていることも,初期型と見分けるポイントの1つになる。


「関式サロン露出計」のおおまかな分類

 初期型にはじまる円形の「関式サロン露出計」には,サマータイムに関する注記が加えられたモデルも存在することから,戦後にも少なくとも1回のモデルチェンジがあったことがうかがえる。また,サマータイム実施期間中にそのスタイルを大きく変えるモデルチェンジがあり,関式サロン露出計UA型になっている。

SEKI'S SALON EXPOSURE METER (new)
測光種類計算盤式
発売1940年3月ころ

 「関式サロン露出計」の広告は,アルスが発行していた雑誌「カメラ」では,1938年11月号から掲載されている(*1)のを確認できる(1938年10月号では確認できない)。また,インターネットオークションに出品されていた初期型の取扱説明書の奥付に,「昭和十三年十月十五日印刷」「昭和十三年十月二十日発行」と記載されていたのを読み取ることができた(その出品物そのものは「昭和十四年四月二十日改訂」の版だった)ことから,いちばんはじめの製品は,1938年10月下旬に発売されることになっていたと考えられる。なお,1938年11月号に掲載されていた広告には「新案特許願」という文言が記載されており,その後の1939年9月号では前月までと広告の内容が同じでありながら,「新案特許願」の文字が「新案特許」に変更されている。
 「関式サロン露出計」に関する実用新案として,昭和十四年実用新案出願公告第四二六七号「寫眞用露出計算尺」(出願人 考案者 關實)がある。この図および説明文により,当初は「天候をあらわす目盛盤」に,透明の素材を用いる場合と,不透明の素材を用いる場合とが考えられており,製品としては不透明な素材を用いることになったとわかる。
 その後,1940年3月号の広告では「待望の新型 愈々(いよいよ)完成發賣」という文言がつけられている(*2)ので,この時期に「新型」にモデルチェンジしたと考えられる。「新型」での改良点としては,裏面の光度係数表が地域ごとに3つに区分されて「北緯20°〜30°」および「北緯40°〜50°」のものが付け加えられたこと,「人工光下被写体係数」の表が設けられて夜間撮影にも対応できるようになったとしていることがあげられる。初代モデルと「新型」との区別としては,裏面の地域区分のほかに,表面中央部に「新案特許」という文字がないことで,初代モデルであると判別ができる。


*1 アルス「カメラ」1938年11月号 (国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1501849

*2 アルス「カメラ」1940年3月号 (国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1501865