Mamiya Uには,ブラックボディのモデルとシルバーボディのモデルとがある。カメラのカラーバリエーションとしては,古くからシルバーボディとブラックボディとが用意されていることがよくあった。そして,ブラックボディのほうが少し高価になっていることが多かった(たとえば,日本カメラショー「カメラ総合カタログ」vol.73(1982年2月)のニコンFM2は,「ブラックボディは¥4,000高」となっている)。それに対して,Mamiya Uの場合は,シルバーボディのほうが少し高価で,「カメラ総合カタログ」vol.73(1982年2月)ではブラックボディが33,800円,シルバーボディが35,000円になっている。
マミヤUには「おくのてクン」という名称の「脚つきカメラケース」が用意されていた。手や足の色にバリエーションがあり,ここに紹介する黄色や青色のほかに,少なくとも赤色のものも存在していた。
日本カメラ「カメラ年鑑」1982年版(1981年12月)によると,シルバーボディはブラックボディより少し遅れて1981年10月に発売されたことになっている。「レンズバリアを開閉するレバーの部分の色」および「距離3mに対応するゾーンフォーカスのピクトグラム」の部分は,Mamiya Uブラックボディ後期型と同様に,黄色になっている。シリアルナンバーを収集したところ(「マミヤプレスファンクラブ」のマミヤUの紹介ページを参照),Mamiya Uブラックボディの前期型はシリアルナンバーの先頭が1で,後期型は2および3になっていることがわかった。シルバーボディには,先頭が1のものも見られるので,ブラックボディの前期型が発売され,シルバーボディを追加したのちに,ブラックボディが後期型にモデルチェンジされたものと考えられる。後期型の発売は,1982年にはいってからのことになるだろう。
Mamiya Uには,ブラックボディのモデルとシルバーボディのモデルとがある。カメラのカラーバリエーションとしては,古くからシルバーボディとブラックボディとが用意されていることがよくあった。そして,ブラックボディのほうが少し高価になっていることが多かった(たとえば,日本カメラショー「カメラ総合カタログ」vol.73(1982年2月)のニコンFM2は,「ブラックボディは¥4,000高」となっている)。それに対して,Mamiya Uの場合は,シルバーボディのほうが少し高価で,「カメラ総合カタログ」vol.73(1982年2月)ではブラックボディが33,800円,シルバーボディが35,000円になっている。
マミヤUには「おくのてクン」という名称の「脚つきカメラケース」が用意されていた。手や足の色にバリエーションがあり,ここに紹介する黄色や青色のほかに,少なくとも赤色のものも存在していた。
日本カメラ「カメラ年鑑」1982年版(1981年12月)によると,シルバーボディはブラックボディより少し遅れて1981年10月に発売されたことになっている。「レンズバリアを開閉するレバーの部分の色」および「距離3mに対応するゾーンフォーカスのピクトグラム」の部分は,Mamiya Uブラックボディ後期型と同様に,黄色になっている。シリアルナンバーを収集したところ(「マミヤプレスファンクラブ」のマミヤUの紹介ページを参照),Mamiya Uブラックボディの前期型はシリアルナンバーの先頭が1で,後期型は2および3になっていることがわかった。シルバーボディには,先頭が1のものも見られるので,ブラックボディの前期型が発売され,シルバーボディを追加したのちに,ブラックボディが後期型にモデルチェンジされたものと考えられる。後期型の発売は,1982年にはいってからのことになるだろう。