第10展示室

駄カメラ

low price second-hand cameras

 「駄カメラ」と呼ばれるべきカメラは,存在しない。

 かつては高価だったカメラであっても,時を経て,ほとんど店頭で価格がつけられなくなってしまうようになることがある。そのようなカメラを発掘し,魅力を再発見することを愛好する人たちは,少なくない。そのような人たちの間では,「駄菓子のようにお手軽に買える」ことから「駄カメラ」という表現が使われることがある。見捨てられてしまったようなカメラに,親しみと愛情をこめての命名と思われる。

 しかし,「駄カメラ」という表現は,こういう場合に最適なものだろうか?

 辞書で「駄」を調べれば,「(名詞につけて)つまらないもの,粗悪なものの意をあらわす」という意味があることがわかる。その例としては,「駄菓子」や「駄洒落」などがあげられている。
 カメラは,私たちの大切な記録を写してくれていた,大切なものだったはず。それにもかかわらず,安価に入手できるからというだけの理由で「駄」をつけて「駄カメラ」と呼ぶことには,おおいに違和感がある。とくに,基準が入手時の価格であれば,同じ機種であっても「駄カメラ」だったり,「駄カメラ」でなかったりする。
 百歩譲って,はじめから「粗悪な製品」として企画された製品であれば,「駄」をつけて「駄カメラ」と呼びたくなる気持ちもわからなくはない。
 しかし,もともとそのように企画された製品が,どれだけあるというのだろうか?「トイカメラ」「おもちゃカメラ」とみなされている製品ならば,「駄カメラ」なのだろうか?それは,違う。「トイカメラ」「おもちゃカメラ」であっても,そのコストの範囲内で,最善の企画がなされていたはずである。「駄カメラ」と呼ぶことは,発売元がそのように自称していないかぎり,適切なことではない。
 最近になって安価に入手できるようになったことをあらわすために,「駄」という文字の使用を選択して「駄カメラ」と呼ぶことは,きわめて短絡的で安直な発想であると主張しておきたい。

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