理研光学工業株式会社(のちの,リコー)

ハイル

RIKEN / Heil

 120フィルムを使うセミ判カメラである。そのため,このカメラの名称は「セミ・ハイル」として扱われていることも多い。
 「セミ・ハイル」は,当時のセミ判カメラとしては,比較的廉価なモデルだった。
 このカメラを発売した理研光学工業株式会社は,現在の株式会社リコーにつながる。1927年に設立された理化学興業株式会社をもとにさまざまな会社が設立された1つに,1936年に設立された理研感光紙株式会社があり,それが1938年に理研光学工業株式会社に名称を変更したものである。

 発売したのは理研光学であるが,カメラには「RIKEN」という名称を直接にあらわす文字が見あたらない。
 レンズの銘はUKAS Anastigmatで,シャッターにはHEILという名称が与えられている。また,レンズの横には丸囲みのなかに「AKK」という文字を図案化したマークがつけられている。この「AKK」は,旭光学工業株式会社を意味している。旭光学という名称であるが,のちのPENTAXにつながる会社ではない。PENTAXにつながる会社は,1919年に設立された旭光学工業合資会社である。

 このカメラの「ハイル」という名称は,ドイツ語の「Heil」(日本語の「万歳」に相当するような語)に由来していると思われる。これ以前に発売された理研光学のカメラには,当時のドイツ国家元首を連想しそうな「アドラー」というものがあるので,そのあたりを意識した名称と思われる。当時の理研光学が発売したカメラには,「ビクター」(VICTOR=勝利者),「ガイカ」(GAIKA=凱歌),「キンシ」(Kinsi=金鵄),「チューコンレフ」(Chukon Ref.=忠魂,Ref.はレフレックススタイルのカメラをあらわす)というものがある。さらに,「ゴコク」(GOKOKU)というカメラもあり,これは「五穀」ではなく「護国」の意味だろう。そういう時代のカメラである。

Heil, Lens No.5640
レンズUKAS Anastigmat 75mm F4.5
シャッター速度1/5,1/10,1/25,1/50,1/100,1/200,B, T (HEIL)
ピント調節目測式
フィルム送りノブ巻き上げ,赤窓式
画面サイズ6cm×4.5cm 発売1941年

 理研光学が発売したさいしょのカメラは,(社名が「理研感光紙」だった時代の)1937年の「セミ・オリムピック」とされている。オリムピックというカメラのシリーズは,それ以前から展開されており,そのさいしょの機種は1934年の「オリムピックA型」とされている。これを製造していたのは株式会社オリンピックカメラで,発売していたのは旭物産合資会社とのことである。1937年にこれらの会社を買収し理研の傘下に入れるにあたって,旭光学工業株式会社を設立し,1938年3月に理研光学工業株式会社に社名をあらためている。PENTAXにつながる「旭光学工業合資会社」とRICOHにつながる「旭光学工業株式会社」という,よく似た名前の同業の会社がごく短期間であるが存在していたことになる。現在,PENTAXというブランドは,リコーの傘下にある。いずれはそうなるようになっていた,ということだろうか。
 Heilを発売するころには,旭光学工業株式会社という名称は使わなくなっても,それに由来する「AKK」のマークは使い続けていた。なお,旭光学工業株式会社になる以前の,旭物産合資会社が発売していた時代のオリムピックカメラには,丸囲みのなかに「AB」という文字を図案化した,よく似たマークがつけられている。この「AB」は,旭物産合資会社を意味している。