1950年代は,二眼レフカメラのブームだったとされている。多くのメーカーから,さまざまな二眼レフカメラが発売されていたのだ。シャッターやレンズを含めて,自社で一貫生産されたような製品もあれば,それぞれの部品を専門メーカーから買いつけて組みたてたような製品もある。1万円前後あるいはそれ以下の安価な製品もあれば,高級舶来品と比肩するとされるものもあった。 東京光学の「プリモフレックス」シリーズは,それらの中間に位置づけられるようなカメラであると考えられる。「プリモフレックス」は10種類のモデルが発売された(*1)。その多くは「トーコー」レンズと「レクタス」シャッターの組み合わせであるが,「プリモフレックスII」だけは,「J・シムラー」レンズと「コニラピッドS」シャッターの組み合わせになっている。「J・シムラー」レンズは,「全面ハードコーティング四枚構成鏡玉」(*2)と宣伝されている。当時のカメラでは,上位モデルにはテッサータイプのレンズを装着し,下位モデルにはトリプレットタイプのレンズを装着するケースがよく見られたので,「プリモフレックスII」はテッサータイプのレンズを装着した,「プリモフレックス」のなかでも上位モデルとして位置づけられていたものと考えられる。
フィルム巻き上げは,セミオートマット。ピント調整は,レンズボード繰り出し式で,シャッターは1秒〜1/500秒をカバーする。ボディのつくりもしっかりしており,現在でも十分に実用になるカメラである。
周辺まで,近景も遠景もとくに画像の乱れは感じられない。この点は,3枚玉より1クラス上の,4枚構成レンズの実力だろうか。
*1 「カメラレビュー別冊 クラシックカメラ専科3」(朝日ソノラマ,1983年)
*2 「アサヒカメラ年鑑1953」(朝日新聞社,1953年)
1950年代は,二眼レフカメラのブームだったとされている。多くのメーカーから,さまざまな二眼レフカメラが発売されていたのだ。シャッターやレンズを含めて,自社で一貫生産されたような製品もあれば,それぞれの部品を専門メーカーから買いつけて組みたてたような製品もある。1万円前後あるいはそれ以下の安価な製品もあれば,高級舶来品と比肩するとされるものもあった。
東京光学の「プリモフレックス」シリーズは,それらの中間に位置づけられるようなカメラであると考えられる。「プリモフレックス」は10種類のモデルが発売された(*1)。その多くは「トーコー」レンズと「レクタス」シャッターの組み合わせであるが,「プリモフレックスII」だけは,「J・シムラー」レンズと「コニラピッドS」シャッターの組み合わせになっている。「J・シムラー」レンズは,「全面ハードコーティング四枚構成鏡玉」(*2)と宣伝されている。当時のカメラでは,上位モデルにはテッサータイプのレンズを装着し,下位モデルにはトリプレットタイプのレンズを装着するケースがよく見られたので,「プリモフレックスII」はテッサータイプのレンズを装着した,「プリモフレックス」のなかでも上位モデルとして位置づけられていたものと考えられる。
フィルム巻き上げは,セミオートマット。ピント調整は,レンズボード繰り出し式で,シャッターは1秒〜1/500秒をカバーする。ボディのつくりもしっかりしており,現在でも十分に実用になるカメラである。
PRIMOFLEX II, J.Simlar 7.5cm F3.5, PRESTO 100
周辺まで,近景も遠景もとくに画像の乱れは感じられない。この点は,3枚玉より1クラス上の,4枚構成レンズの実力だろうか。
*1 「カメラレビュー別冊 クラシックカメラ専科3」(朝日ソノラマ,1983年)
*2 「アサヒカメラ年鑑1953」(朝日新聞社,1953年)