ヤシカは,マミヤとならび,もっとも最後まで二眼レフカメラを製造し,販売してきた日本のメーカーである。
1950年代には,多くのメーカーから,さまざまな名前の二眼レフカメラが発売されていた。それらの二眼レフカメラは,フジカフレックスなどの一部を除くと,当時のカメラとしては低価格であることを大きな特徴としていた。二眼レフカメラは,カメラの普及という大きな貢献を果たしてきたのである。 二眼レフカメラをその機構で分類するとすれば,着眼点はいくつかある。普及品としての国産二眼レフカメラは,そのピント合わせの機構から大きく2つに分けることがもっともわかりやすいだろう。 1つは,戦後のリコーフレックスIIIにつづく,前玉回転式のピント調節機構をもつグループである。 もう1つは,ローライコードを模倣したような,レンズボード繰り出し式のピント調節機構をもつグループである。 レンズボード繰り出し式のカメラは,前玉回転式のカメラよりも,高級機であった。ヤシカは,前玉回転式のカメラなみの価格で,レンズボード繰り出し式のカメラを発売し,たいへんな人気になったようである。
なお,このカメラの貼り革は水色であるが,発売当時にこのようなカラーバリエーションが用意されていたわけではない。このカメラを入手したときには,貼り革がボロボロの状態であったため,このような色の革(スエード)を貼ってみたものである。
ピントのあったところは細やかで明瞭な描写に見えるが,ピントがあっていない部分のボケ方がレトロな印象を与える。これは,3枚玉レンズによく見られる特徴とも言える。
ヤシカは,マミヤとならび,もっとも最後まで二眼レフカメラを製造し,販売してきた日本のメーカーである。
1950年代には,多くのメーカーから,さまざまな名前の二眼レフカメラが発売されていた。それらの二眼レフカメラは,フジカフレックスなどの一部を除くと,当時のカメラとしては低価格であることを大きな特徴としていた。二眼レフカメラは,カメラの普及という大きな貢献を果たしてきたのである。
二眼レフカメラをその機構で分類するとすれば,着眼点はいくつかある。普及品としての国産二眼レフカメラは,そのピント合わせの機構から大きく2つに分けることがもっともわかりやすいだろう。
1つは,戦後のリコーフレックスIIIにつづく,前玉回転式のピント調節機構をもつグループである。
もう1つは,ローライコードを模倣したような,レンズボード繰り出し式のピント調節機構をもつグループである。
レンズボード繰り出し式のカメラは,前玉回転式のカメラよりも,高級機であった。ヤシカは,前玉回転式のカメラなみの価格で,レンズボード繰り出し式のカメラを発売し,たいへんな人気になったようである。
なお,このカメラの貼り革は水色であるが,発売当時にこのようなカラーバリエーションが用意されていたわけではない。このカメラを入手したときには,貼り革がボロボロの状態であったため,このような色の革(スエード)を貼ってみたものである。
Yashicaflex C, Yashikor 80mm F3.5, KODAK PRO160
Yashicaflex C, Yashikor 80mm F3.5, KODAK PRO160
ピントのあったところは細やかで明瞭な描写に見えるが,ピントがあっていない部分のボケ方がレトロな印象を与える。これは,3枚玉レンズによく見られる特徴とも言える。